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2014年8月30日土曜日

常陸国旅行記 (2) 那珂湊、ちょっと水戸

さて、ひたちなか海浜鉄道で磯崎駅から那珂湊駅へ来るところから。



止められている車両。これらはまだ稼働中のものらしい。
手前は三木鉄道からやってきたミキ300。
次が国鉄準急色キハ2000、奥がキハ22。
奥にラッピング車両が見える。キハ37100なる最新モデルで、塗装は2周年記念でやったアニマルトレイン。
かっぱは常設のものかと思いきや、これもMMMの展示品だった。
駅に住み着いた黒猫のおさむ。
和歌山電鐵と違って駅長ではないようだが、妹分のミニさむというのもいるらしい。
あいにくミニさむは外出中だった。
大洗は橋をわたって徒歩でもいけるくらい近い。鉄道2社とバスを使っての観光切符が売りだされているので、こういうものがおかれている。あひるさんチームなのはなんでだろう。
おやおや。

さて、昼食とっておきたい感じになった。
町中まで我慢する選択もあるのだが、どうも腹も減ったので駅前にあった昭和な定食屋に入ってみた。


クールなばあさまにチーズカツ定食を注文すると、出てきたとんかつがでかい!
店内の昭和テイスト。広くはないのに、手前にテーブルふたつで奥が畳の座敷というのもレトロ。
来訪者が置いていったサインが多数掛かった壁も味わい深い。

駅でMMMの展示場所を案内する地図入りチラシを貰ったので、それを見てみると、どうやら那珂湊駅車両基地にある引退車両を展示場にしているらしい。それはいい。
駅裏手に回りこむと、

キハ20-429。429番だと日本車輌製造で1961年生まれの53歳。
こっちに来てからはキハ203と呼ばれていたそう。
201~204の四兄弟だったけど、阿字ヶ浦で更衣室やったりした後に他は解体された。
車内には、地元の方が寄贈したHOゲージのレイアウトがある。
コントローラーの使い方がわからなくて走らせられなかったけれど。どうすんだろ。
なんとも味のある面構えにされちゃってるケハ601。
日本初のステンレス製気動車。新潟鐵工所が1960年に1台だけ作ってみて、潮風を受ける湊線で走らせようとなったとのこと。
エンジン付きなものの、他車両との統括制御ができないから運転時はキサハになっていた……という説明があったけどなんのことかわからんかったが、単行なら自分のエンジンで走るけど他の車輌を引っ張れず、エンジンがある(キ)けどエンジン・運転台なし(サ)と扱われる普通車両(ハ)になっちゃってた、という意味なんだと思う。
以前は車台も外して倉庫にしてたらしいけど、2009年からギャラリーにしている。
車内ではMMMのアート展示で、東京芸大の学生さんが撮ったアニメを流していた。
なぜか鉄道ファンのバックナンバーが山ほど積み置かれてたりもした。

さて、次は丘の上にある高校の方へと歩いて行く。
高校に侵入するわけじゃないが、裏手に反射炉跡というのがある。

水戸藩江戸小石川邸の正門右側の門を移設した、山上門。佐久間象山や西郷どんもこの門をくぐったという。
反射炉建造のための耐熱煉瓦焼成窯。1200~1600度まで耐えられる上質なものだったそう。

どうも水戸のあたりにはペリーより前からちらほら異国船がきていたようで、徳川斉昭が海岸防衛のために大砲を作るべく、製鋼用の反射炉を建造した。
どうも稼働して程なく天狗党にぶっ壊されたらしく、昭和12年に復元されたのがいまのもの。

対艦砲にしちゃ小さいような、と思ったら、児童館が竣工した記念に昭和45年に寄贈されたもの。

高校のある丘を回るように歩いていると、天満宮が見つかる。

このあたりでは大きな祭りを行っているようだ。
関西では、菅公が大宰府に流される折に立ち寄った伝承のある天満宮が多いのだが、ここでは鎌倉時代に海に奇瑞が現れ、神託を乞うと菅公の霊が降りたのだとことで、時の領主が泉蔵院という寺を創建したのが始まり。
黄門様が寺社改革を行って天満宮を置いて、それから祭礼などが今でも続くという。


天満宮の脇に丘に続く道があり、しかしこの看板はどっちにいけと言いたいのだろうか。
とりあえず丘に登らず左手方向に向かったが、あいにくハズレで丘に登るのが正しい。

そのまま行くと海にぶつかるのだが、そこは那珂湊おさかな市場。
なんか広めの道が路上駐車でいっぱい(標識によれば土日祝は駐車禁止指定が解除)、駐車場もほぼいっぱい。
寿司、刺し身、干物などなど数多くの店が軒を並べ、そして人がぎっしり。
水戸から車で30分くらいで、来やすい立地とか好条件なのかもしれない。

食事には遅めの時間だったはずだけど、とても待たずに食べられるとは……
ちなみに、この市場から大洗方面に渡る橋が見えている。
橋をわたってすぐのところに、アクアワールド茨城県大洗水族館がある。水族館だけなら大洗駅からくるよりこっちのほうが近そう。
ただまあ、水族館から大洗の街が結構遠いので、徒歩だと結構大変。


ちょっと駅の方に戻り始める。

四郎介稲荷神社。文禄三年、つまり1594年創建。

さっき看板に惑わされて上がらなかった丘にあがると、そこは湊公園と整備されていた。


樹齢300年以上のクロマツが12株も並ぶ。黄門様が須磨から取り寄せて植えたもの。
松の銘木は多くが松食虫にやられて失われてしまっているけれど、ここはまだ残っている。


小高いところに上がってみると、昭和58年に当時の那珂湊市が制定した港八景のひとつ、日和山秋月の碑が立っていた。夜になればいい月がでるわけかな。


湊公園は、かつて夤賓閣という黄門様の別荘があった。
歴代藩主が宴会に使っていたり、また近くに異国船番所が置かれたりしていたのだけど、天狗党に焼かれてしまった。明治30年からここは公園になっている。


おさかな市場を眺める程度でスルーしちゃったけれど、市場で買い物して食事して、それに加えて那珂湊駅の旧車を観て湊公園で松を眺め、とすれば、まあ半日足らずでなかなか楽しめる街だ。
私はこれくらいの、歩いて回ってちょっとした史跡や神社があり、というスケールの街が好きだな。


夕方というほど遅くもない午後4時前だけど、もう水戸の方へ移動。宿は偕楽園近くにとってある。

黄門様ご一行像。このへんはひたすら黄門様押しだ。
とりあえず宿にチェックインすると時間は5時前。
一休みして、まあ目の前に偕楽園があるし、季節も違えば時間も微妙だけどちょっと観てみる。


梅林……っつって夏に来てもこれだな。


偕楽園隣に神社があり、入っていってみると東湖神社なんてのがあり、え、と思ったら祭神が藤田東湖命と。
昭和18年創建。


こちらが本社の常磐神社。黄門様が主祭神だが、高譲味道根命(たかゆずるうましみちねのみこと)という名になっていた。もしかしてグルメ人の側面を強調……?
それから、偕楽園を開いた徳川斉昭公も、押健男國御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと)として祀られている。

隣に義烈館という、水戸学関係の資料を多数納めた収蔵館があり、公開されているのだがあいにくすでに時間外。


やはりもう時間が遅いな、ということで、バスで水戸駅に戻って飯でも食おうということに。
しかし、関西人は納豆食えないので、納豆料理はちょっとつらい。つらいし別に納豆料理を前面に打ち出してるような店はほとんど見かけず。
まあ普通のもんでいいかと、商店街のほうじゃなくて駅ビルを回ってみたが、そうするとますますどこでも食べられそうなものしかなくてコレというものが思いつかず、うろうろうろうろ。

そこで、「離島キッチン」という店があり、日本各地の離島の郷土料理を出しているという。
水戸関係ない店ではあるが、期間限定の水戸店と、あとは浅草にしかないらしいので、ちょっとおもしろそうなので入ってみた。



大分県保戸島のひゅうが丼。すこしだけ甘味のある漬けダレで、胡麻もきいてなかなかの味。
さらに隠岐の島のはっさく酒、隠岐郡海士町の塩と石垣島のバジルを使ったフライドポテトで晩酌も追加。


水戸はあまりに見どころ多く、また見どころが広がっているエリアも広すぎるので、とても那珂湊と大洗の間の時間に一周りするのは難しい。
水戸を見て回るのはまたの機会かな。


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