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2014年2月9日日曜日

映画「僕は友達が少ない」

表題の映画を観てきた。


私は、アニメやマンガの実写化映画・ドラマが大好き。
今年は新年早々から「黒執事」に続いて連射されたので、私は大喜びだ。

実写化となると、発表された瞬間からバッシングが起こり、キャストが出たり「オリジナルストーリーだ」と発表されたりするたびにバッシングが盛り上がり、予告編やテレビCMが出るといよいよ爆発し、そしていざ公開されるとあまり観に行く人がいない、そういうお決まりの流れも含めて大好き。

私は人が悪いので、バッシング自体には加担せず、むしろその様子を「おやおや公開される前からそんないきりたって」とニヤニヤ上から目線で観察する。
安易にできるバッシングはこの時にスクリーニングできるので、自分がつまらないケチ付けに終わらないための予防線にもなる。

そして、事前に注目したからには、公開されたら観に行かずにいられない。
「デトロイト・メタル・シティ」みたいに秀逸な作品だったりしたら、それはもちろん儲けもの。
そうでないB級映画だったとしても、初めから失敗するのを期待して観に行ってるわけだから、それはそれで楽しめる。





さて、そんな私が観た「僕は友達が少ない」。
私の感想はといえば、これはこれで一種の傑作ではないか。


客入りは悪かった。
公開二週目最初の土曜日だというのに、なんばパークスシネマでは初週は一日5回上映のところ、早くも一日3回に減らされていた。
シアターも100席ちょっとの小さいところ。なのに空席率が8割くらい。
「黒執事」も同じなんばパークスシネマで二週目土曜に観たけれど、200席シアターでもう少し空席率は低かったと思う。

なんでこんなことになったんだろう……と思ったが。
数ある実写化映画の中でも、よりによって萌えラノベの極北のひとつたる「僕は友達が少ない」をやろうというのが、そもそも苦しいというのはわかる。
そしてまた、広告ポスターやテレビCMなどを見ると、どうにもこうにも、おそらく大抵の人には地雷っぽく見えたと思う。
公式サイトからも、それは伝わるだろう。
私は人が悪いから、これはかなり大物の地雷だと決めつけた上で、だからこそ観に行ったような節はある。普通、そんなたちの悪いことはせず、地雷なら観に行かない。


で、実際に見てみると、事前に予想した通りの地雷だというのは、その通りではあった。
あったのだけど、ここまで予想を違わない形で完全に地雷なのは、どう考えても意図的だ。
そしてこれが、平坂読の作品たる「僕は友達が少ない」の実写映画化だと考えれば、その意図がまったく正しい。
これでは、地雷であるがゆえに一種の傑作である、ということになる。



そもそもこの映画が、なぜポスターやTVCMだけで、こうも地雷に見えてしまっていたか。

それというのは、原作やアニメそのままの外観設定が、何のアレンジもすりあわせもなく、あまりにもダイレクトに俳優に被せられているせいではないだろうか。
確かに小鷹は、ハーフで金髪という設定ではある。
でもそれを、本当にダイレクトに、瀬戸康史を真っ白なペールブロンドにして再現してしまう。
夜空は腰まである黒髪ロングなんて、見事な漫画髪で出てくる。設定通りに。
星奈はペールブロンドではなくもっと濃い色ではあるけれど、あのおなじみの青い蝶の大きな髪飾りをつけてくる。

ここまでそのまんま、というのは、見れば実際かなり異様な印象を受けてしまう。
特に原作が萌え系のものなら、長年の蓄積と独自進化の上で、現実離れした設定が当たり前になっている。こんなのをそのまま人間にかぶせたら、めちゃくちゃになる。
この異様さが、地雷っぽく見せた原因ではないだろうか。


そしてそのまんまぶりは、本編においてもそのまんまだ。

小鳩も原作そのままに邪気眼ガールをやっている。
見た目こそ黒髪でオッドアイでもないものの、例のゴスロリファッションで、たまに地金の方言が出るところもそのまま。
まったく痛々しい。

夜空も、エア友達のトモちゃんと会話するところを目撃される、という例のシーンをもって物語にエントリーする。
もちろん原作で字で読んでも酷いシーンだが、リアルにやられると実にひどい。
なにしろ北乃きいのような美形だから、原作そのままの可愛げなくナイフを振り回すような物言いも、ちょっと小気味いいものはある。
北乃きいだからアリなだけ、というのは間違いない。

星奈もまた、隣人部の部室に窓から突入しようとする、というマンガをやらかし、そしてその時に、無理な運動をしたからブラウスの胸元がはだけて谷間丸出し。
二次元では非常によくあるシーンだけど、もちろん、そんな珍妙なことは現実にない。

理科なんかまったく酷いもので、あの人間凶器ならぬ人間性器をどうするのか、と思ったらこれもそのまんまやった。
この映画では、聖クロニカ学園には「けいおん!」の舞台としても有名な豊郷小学校旧校舎を使っている。
そのヴォーリズ建築の文化財に、股間擦りつけてユニバァァァァァァァァスをやってしまった。
ちらほら笑いが出ていた客席も、さすがに理科ばかりはみんな引いていた。

地味にこの映画はPG-12なのだが、二次元ではよくあるはだけた胸元とか、二次元ではよくあるパンチラとか、二次元ではよくある年中露出しっぱなしのキャラとか、そのままやっているせいだろう。
また、二次元ではよくある、特に物語の進行と関係ない女子のプールシーン、しかも腰のアップとか尻のアップとか、まるで無意味に複数回差し込まれる現象もあった。
そして女子の制服は、スカートが異常に短い。どのキャラも等しく見える寸前まで短く、そして時々見える。そんなことまで、二次元そのもの。

他のキャラに比べれば、幸村はまだまともに見えてしまった。
このキャラは、原作でのギミックが込み入っているから、映画では単に「女子にしか見えない男子」を女優が演じているだけになった。
原作通りにメイド服を着せられるものの、これはもともと、いくら二次元でも学校でメイド服で過ごすのはおかしい。実写でもちゃんとおかしいから、一周回って当たり前、という感じがある。

マリア役の子にうんこうんこ言わせなかったのが最後の良心に思える。あれを再現し過ぎると児童虐待にあたるかもしれない。


これまで観てきた二次元の実写化映画・ドラマでも、実写にするためのすり合わせはいつも行われていた。
「黒執事」だって、セバスチャンそのままをコピーするのではなく、水嶋ヒロに演じさせるための形に調整されている。
そうしないと、人物が珍妙になって、立っているだけでギャグみたいになってしまう。

ここまであからさまに、何の工夫もなく二次元そのままを役者にかぶせるという行為、意図的にやったとしか考えられない。


ストーリーは、原作で使われたバーチャルゲーム「ロマンシング佐賀」の世界に飛び込んで、そこで色々な経験をして、小鷹が精神的脱皮を果たしていく、というような話だ。
素晴らしいとまではいわなくても、2時間で小鷹や夜空を描くための物語としては、まあ十分と思う。

でもやっぱり、あまりにもキャラが異様で、ストーリーそのものを素直に見られる状態には思えなかった。
そして正直、ストーリーだけ見てしまうと、問題と解決法の明確化と関連が甘いように思え、いまひとつな感じ。

この映画の肝は、ストーリーより何より、「二次元そのまま」ということと私は見た。



果たして、何のためにそんな「二次元そのまま」の実写映画なんて珍妙なことをしたのか?

まず、単純にその絵面が笑えるからじゃないか、とは考えられる。
実際、客席からはしばしば笑い声が起きていた。前半はコメディタッチな部分も多く、そこにアニメ丸出しの珍人物が闖入すりゃ、思わず笑ってしまおうというものだ。

安直に裏を読めば、「お前らが萌えてる二次元ってのが現実にやったらこんなにイタいぞ、北乃きいほどの美少女がやってもこの有り様だぞ」と、二次元ファンをからかってるようなものと受け止めることもできる。
まあ、これはもしかすると怒る人は怒るかもしれない。
ただ、「僕は友達が少ない」の原作者が平坂読だということを踏まえると、話が違ってくる。


平坂読という人は、昔からしばしば、萌えキャラにイタズラを仕掛ける。
いかにも萌えキャラらしい萌えキャラを出して話を進め、読者がその萌えキャラを普通に消費しようとしたところで、萌え要素をひっくり返すようなシーンを描いて、読者をからかう。
「ねくろま。」の1巻なんか読んでみるとよくわかる。
そのからかい方が、まるでイタズラを成功させた小学生が引っかかった相手を指さして笑ってるようなところがある。ケレン味というと大層だ。本当にガキのイタズラみたい。
そのノリが気に入って、私は平坂読のラノベを気に入って読んできた。「僕は友達が少ない」は1巻からリアルタイムで読んでる。

それがもっと洗練されたのが、「僕は友達が少ない」でよく言われる「残念系」というものではなかったか。


その平坂読のイタズラ精神を、この実写映画化に持ってくるとすれば。
わざわざ二次元そのままの萌えキャラを俳優に被せ、「みんな大好きな、もはや慣れ親しんでしまっているものは、本当にやったらこんなにイタいだろ」というイタズラ。
これは観客の萌えると思うところを転ばせる、すごく平坂読的なものじゃないか。

もし私のこの深読みが当たっているとすれば、及川拓郎監督は原作の大した読者だと思う。
公式サイトによれば、原作のリアルタイム読者で並々ならぬ愛情があるらしいけど、これはきっと本当だろう。

もちろん、手口が直接過ぎるとは思う。
平坂読のイタズラが残念系と進化したのは、足払いで本当に転ばせるのではなくて、うまく着地点をずらすに留めて、そっちはそっちで面白いと思わせるように洗練されたからだろう。
映画のこれは、「ねくろま。」の頃の、本当にひっくり返してしまうような段階のイタズラだ。

しかしそれでも、こんなイタズラを全国ロードショーの映画に突っ込んでしまうなんて、まったく痛快な傾奇者じゃないか。



もし、私と同じように平坂読からイタズラ心を読み取ってる人があれば、この映画はまさにそれをやってのけた映画だから、ぜひおすすめしたい。
どうも客入りから見ても、ひょっとしたら今週金曜日で打ち切りかもしれない。(だから慌てて書いたら長くなってしまった)
観に行くなら急げ。