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2013年12月24日火曜日

冬の静岡に企業博物館を訪ねる (2日目・タミヤ歴史館)

清水ではちょっと上等めのビジネスホテルを使ったりして、清々しくお目覚め。

清水でも何か見たくはあるのだけど、静岡のタミヤ歴史館の予約を11時にしちゃったので、清水で動けるのは早朝でどうにもならず。
ちびまる子ちゃんが「見ていけー清水見ていけー」とアピールしているけど振りきって静岡鉄道静岡清水線に。





なかなかきれいな新清水駅だが、最近改築したばかりで、元は2階建ての駅ビルでテナントも入っていたとか。
かつては駅前を静鉄の路面電車が走っていたりもしたそう。


通勤急行というのでしめやかに新静岡まで移動。

JRの本線は駅間が広大なことが多いので、ほとんど並走して駅間の細かい私鉄が走っている区間は何度か見たことがある(福井-武生間の福井鉄道武生線とか)が、ここもそのひとつ。
世間では平日で仕事があるから、通勤急行の車内は混雑していて車窓の風景はあまり見えず。

どうもこの電車、静鉄1000系というそうだけど、パワーのある車両なのか運転手の癖か、発車とともに急加速して乗客がよろめくことが何度か。


そして到着した静岡はまだ朝の8時半。さてどうしよう。

とりあえず駿府城のほうへと歩いて行く。


きれいな外郭。
どうも今まさに改修工事中で、ここはできたてのよう。反対側はまさに建築中だった。

コトワザに「ならぬ堪忍スルガスンプジョウ」というが、かつて中央競馬にスルガスンプジョウという馬がいた。
こいつがまた強いはずで人気を集めるのに、不利を受けて負ける・重要なレースを欠場・距離のあうレースに恵まれない、といった理由で惜しくも勝てないレースが多かった。
人気で負けるから、馬券がやられてブチ切れそうになる競馬ファンも多かったけれど、その許せないというところを堪忍するのが堪忍というものだ、ということから、「ならぬ堪忍スルガスンプジョウ」というようになった。
競馬ファンには常識といえるコトワザなので、教養として覚えておこう。


さあ攻めこむぞ。
この堀は本来は最外周ではなく中堀で、この東御門橋を渡って高麗門をくぐる。



正面と左手が多門櫓、見えてる北側の門が櫓門。

ここまでひっくるめて東御門。
東御門を出てすぐに安藤帯刀の屋敷があったことから「帯刀前御門」といわれたり、また台所奉行の松下浄慶にちなんで「浄慶御門」ともいわれた。

東御門には有料で中も見学できるようだけど、あいにく始まる前。9時半からだったかな。


駿府城は、さして合戦の舞台になったわけでもないのに不思議とよく燃えたりする。
1585年に築城され、1607年に失火で燃えた。1610年に再築。
大御所が亡くなった後、城主の徳川忠長が乱心した(ことにされた)りややこしいことになって、1635年に城下町の火事が延焼してまた燃えた。この時は城主がいなくなっていたので、天守は復元されず。
明治になって歩兵連隊を誘致するために、城郭をあらかた壊してしまった。まあ明治頃にはよくあることだけれど。


門をくぐると公園になっている。


さっきのが中堀だったわけで、当然もうひとつ内堀がある。


石垣が見えるが、平面部は打込み矧ぎ(荒割した岩を積んで隙間に石をつめていく)、角は算木積み(横長の石を重ねる)になってるとのこと。一応写真からも伺える。
江戸時代には、幅22~30m、深さ5mくらいだった。


家康公お手植えのミカン、ときた。
紀州から献上されたのを移したもので、こっちではホンミカンと呼んでいるものだそう。種がある小さめの実がつくとのことで、今の温州みかんとはちょっと違うか。


ミカンあたりが本丸だったので、この通り家康公像が立っている。



城址を出て、城の西側に神社を見つけた。
奥津彦神社、どうも今川時代に祀られていた神社のようだ。
まあ今ではこの通りの小ささだけど、徳川時代にはあまり大事にされなくなったのかもしれないな。

で、徳川時代には浅間神社ができる。
目の前に大鳥居も見えているので、そっちに向かおう。



浅間神社への参道には、商店街が連なっている。
まあ、あいにくまだオープンしてない時間だったけれど。

で、唐突に現れる山田長政。ナガマサナンデ?
店が空いてないのでよくわからなかったが、なぜかタイのポスターが貼られていたりしたのが散見された。
山田長政が静岡出身であるらしいけど、他にも縁のある人は多かろうに、なぜ彼なんだろう?
タイミングが良ければもう少し注目したかったけれど……


そこそこ歩いて浅間神社に到着。
大歳御祖神社と碑が立っているけれど、こっちからだとまず御祖神社に参る順番。


どうも、派手なつくりの神社やな。

境内にはいくつも大きめのお社がある。
ひとつ大きくて後は小さな枝社、あるいはせいぜいふたつくらいが並立するのはよく見るけど、ここは並列性が強いような。




変な角度だけど、ずいぶん派手に手の込んだ社殿を入れたくて近めから。
こっちは八千戈神社。元々は家康が摩利支天を祀っていたところで、神仏分離で八千矛命に切り替えた。


大きい摂社が多かったけど、やはり本命の浅間神社はひときわ立派な楼門を構える


拝殿。
やっぱりこういう神社はあんまり関西では見かけない。
関西で派手な神社といったら秀吉や秀頼の趣味のものだから、金ピカ系のが多い。
こういう極彩色は家康のセンスなんだろう。家康が地味で質実剛健ってほんとかよ、という気がしてくるな。


ぶらぶらと駅に戻ってくると、もう10時半。
タミヤ歴史館の予約が11時なのに大丈夫かな、と観光案内所でバスを聞いたりするも、なかなか来ない。来たと思ったら、環状バスの逆回り。

結局タクシーを使ってしまった。
のだけど、慌ててタクシー乗ったら思ったより早く着いてしまい、しかもタミヤ歴史館は自由見学でツアーがあったりはしない。
時期もあってか混んでもいなかったから、早めについて受付にいくと、15分前でもそのまま見学に入ってくれてよし、とのこと。あらら。
まあ、時期が時期だし混雑するタイミングじゃないけれど。


タミヤ歴史館は撮影自由だけど、まあこれから行く人にスポイラーになっても悪いので写真はほどほどに。


初期のタイガー戦車。
右隣のパンサー戦車が初代で、小松崎茂のボックスアートで有名なシリーズ。1961年から。
今戦車模型が1/35スケールが標準なのも、モーターで走るキットとしてこれを作ったスケールがそれだったからで、以後デファクトスタンダードとして普及していった。


子供の頃にはタミヤのラジコンはずいぶん憧れたもんだったな。
私は年齢的に初代のレーサーミニ四駆ブーム、ミニ四ファイターやダッシュ四駆郎とともに育った年頃だったから、ミニ四駆の親玉として羨望の的。
世間はバブルだったのに、うちはどうも貧乏で、何万円もするラジコンってちょっと買ってもらえなかったな。


世代といったら、やっぱ憧れはこれだな。オフロードバギーのシリーズ。
私が初めて買ってもらったレーサーミニ四駆はフォックスJr.だった。ホットショットJr.は確か弟が、そして父親も一緒になってブーメランJr.を買ったんだ。

1976年発売の初代ラジコンカー・1/12 ポルシェ934ターボももちろん展示されている。


ビッグスケールのバイク・レーシングカーシリーズ。
バイクは1/6、レーシングカーは1/12。一般的なキットはその半分。
フラッグシップシリーズとして、当時の技術の粋をつぎ込んであって、1/6 CB750Fourなんかはチェーンをひとこまひとこまパーツにしてあるほどだったとのこと。
一度1/6のバイクなんか作ってみたいけど、好みの車種が微妙に出てないのよね……


スロットカーなんかもすこし展示が。


飛行機関係。
最近再販されて意外と手に入れやすいミニジェットシリーズがずらっと。
っていうかビゲンあったんだ。私ビゲン好きなんだ。

1/100というスケールの飛行機は、タミヤのこれ以外にはほとんどないから、他と合わせづらいのがちょっと難だ。
かといって1/72スケールはイタリアのメーカーのOEMだし、1/48はでかすぎる……ということで、私はあまりタミヤの飛行機キットは作ってないな。


多分駄菓子屋とかで売ってたんであろう、1/250の零戦とか。これ一個ほしいな。
大戦中のプロペラ機なんて1/144スケールでも極小だから、作るの大変だろうけど。


そして、タミヤ模型がいまだプラスチックモデルに至らなかった時代の、木製模型シリーズが。
今みたいに貼りあわせていけば大体形になるもんじゃなくて、おおまかな木材がゴロゴロ入っていて、丁寧に削って形を整えて建造していくもんだったそうな。
やっぱりプラモデルの精緻さには及ばないし、多分このクオリティで造り上げるのがかなり高いスキルが必要なんだろうな。

タミヤは元々木材加工の会社で1946年創業、1948年には木材の切れっ端を模型に仕立てる部門ができて、それが人気になって1953年には模型屋になっていったそうな。


船の評判が高かったみたいだけど、戦車なんかもある。


他にも、海外でやってるコンテストの受賞作や、ここまでに挙げたような大昔のものではない、ちょっと古めのキットが多数展示されている。
男子ないし模型ファンなれば、隅々まで見ていたい場所よ。


歴史館を離れてロビーに行くと、今度は実物車両の展示コーナーがある。
F1カーとかポルシェとかオフロードカーとか色々あるのだけども、


うわ、タイレルの6輪だ。
今はもう4輪でなきゃダメと明文化されてるらしくて、二度と現れることはない。


バイクもありましてですね。


私が初めて乗ったバイクであるところの初期型FZ250 PHAZERじゃないかー。
私のはブルーだったけどね。



インジェクション成型機。
多分かなり古い型のもんだと思うけども。今のはもっと複雑化してると思う。


それで成形したらしいプラモデルを、おみやげとしてひとり1個持ち帰っていい、とのこと。

実は前にも何かのイベントで、こういうおみやげキットもらったことがあるんだけど、その時はヤマハのタウニーというファミリーバイクのキットだった。
あとベルーガというスクーターもあったんだっけ。

行くタイミングによって違うもんが出るのか、そのへんは不明。
タウニーもらったのって7年くらい前だと思うけど、そもそもタウニーって30年以上前のバイクだから、7年前の時点で相当古いもんだったはず。


ショップで限定アイテムを幾つか買い込み、これはもう帰ったらまた何か久しぶりにプラモデル作るしかないな、と決意を新たにして、タミヤ本社を後にした。


静岡駅にはバスで戻った。
三菱電機前、というバス停が最寄りなのだけど、この停留所は通勤時間帯しか使われない。その隣のバス停まで歩いて乗車。



静岡駅近くで鉄火丼を食した。
静岡ってマグロの水揚げが多いんだってね。

しかし静岡というところは、思っていたよりずっと都会的で賑やかな感じ。
建物も高いし綺麗なところが多い。再開発されて間もなかったりするんだろうか。


駅前にある、静岡ホビースクエアに行ってみた。
特別展は子供向けのものだったのでパスして、常設展を。

静岡の模型メーカーが協賛してやってるので、各社の歴史=模型の歴史を年表にしてパネルにまとめているだけで読み応えがある。
各社の新製品展示もなかなか充実していて、大メーカーだけでなくEBBROというダイキャストミニチュアのメーカーや、Woody JOEという木製模型専門メーカーもある。

物販コーナーもあれば(アオシマがいるから艦これグッズまで置いてたりして)、買ったキットをその場で作れる工作スペースも。


それからその近くのビルに、「しずおかO-CHAプラザ」という施設があって、立ち寄ってみた。
ビジネスビルっぽい建物の3階、ちょっと観光客が立ち寄るには場違いな雰囲気もなくもなかったけど、入ってみれば面白いスポット。

県営の施設で、お茶とお茶のいれ方についてのインストラクションを無料で受けられる。
日によって使うお茶は違うみたいだけど、今回は袋井というところのお茶。

教わりながら入れてみたんだけど、これが思ったよりはるかに美味しい。自分で入れてるから、マジック使ったりはしていない。
お湯の温度を下げて入れると、あまり苦味成分のカテキンが抽出されなくて、甘み・旨味が立った味になる。
逆に上げて入れると、渋みの立ったほろ苦くスッキリした味になった。
温度を変えながらひとさじのお茶から3杯取ったというのに、3杯目まで美味しかった。
甘いのが好きか苦いのが好きかは好き好きとのこと。

家に帰って天竜茶を入れて楽しむときにも、ここで教わったことがよく役立った。
適当に入れて飲んでこんなもんかー、で終わるよりよほど良かったな。
まあ、買って帰った天竜茶は、同じ量で3000円から300円までグレードの差があったやつの下から2番めくらいのもんだったので、O-CHAプラザの袋井茶は相当良いものだったのかな、という差もまた感じてしまったけれど。
次に静岡行くことがあったらとびきり良い奴買ってやろう。
天竜茶だって静岡でも上質なものと評判らしいから、あくまで私が半端にケチったせいか、まだいれ方が甘いかどっちかのはず。


静岡市美術館に行ってみたら、休館日だった。
まあシャガール展だったし、趣味が400年遅れてる私にはシャガールは理解できんからいいんだけど。


さて、静岡駅前でいきなり飛び込むような場所も思いつかなくなったので、ちょっと早めに、宿を取ってある浜松へ移動開始。
これはJRで普通に乗って行くだけ。さすがに新幹線ひと駅使うのもな。

後から思えば、まだ午後2時ごろだったんだし、磐田で途中下車してヤマハ発動機を見に行けばよかったな。
ていうか私はヤマハファンじゃないか。なにやってんだ。


浜松について、早めに宿にチェックイン。
浜松もまた、思ったより都会的。
ただ、駅近くはビジネス街色が強くて、繁華街はちょっとだけ外れたところにあったようだ。
私にはそれがわからず、また静岡と違って大きな神社があったりもしないみたいで、これから日が暮れるまでの時間はどうしようか……という状態に。

宿ではちょうど艦これのクリスマスイベントが始まっていて、いつも那珂ちゃんを旗艦にしている私はログインするなり驚愕したり。

また、昨日も調子が悪かった、USBのXiデータ通信端末L-02Cが、どうも完全に故障したよう。
デバイスドライバーや管理プログラムなどは完全に動いてるのに、どうしてだかずっと圏外になって接続できない。多分ハードウェアの故障だろう。
まあ白ROMの中古扱い品買ったんだから文句は言えんけど、これ10回も使ってないぞ……



神は言っている。まだ宿に腰を落ち着ける時ではないと。

せっかくだから、遠州鉄道に乗ってしまうことにした。


この赤いカラーリングから、赤電などとも呼ばれているとか。
通常の3倍速かったりはしない。ドアの開閉が3倍速いとか、行き先表示板の切り替えが3倍速いとか細かい芸があったりするかもしれないけど。

12分間隔とたくさん走っているだけあって、逆に言うと観光路線なんかじゃなくて、住宅地と都心の人員輸送が主目的な路線なんだと思う。
どうも、沿線で観光しようというところがあまり思いつかなかった。車窓にもずっと住宅街って感じで。

で、端っこの西鹿島まで来ちゃった。
西鹿島で、天浜線と接続している。

いっそ天竜川を越えてぶらぶら歩いて行けば、昨日見そこねた二俣城址なんか見れるかな-……と一瞬思ったのだけど、ちょっと遠い。


とりあえず天竜川まで出てみた。


天竜川を越える天浜線の鉄橋。昨日は上から観たんだな。


川沿いは工事中で、あまり川面に肉薄できず。
鉄橋の工事なのかな?


日没の時間で、駅に戻ってきたらかなり暗くなってしまった。



浜松に戻ってきて、夕食に、近頃売り出し中の浜松餃子を出す店があったので入ってみた。

どんなもんやろな……と食べてみると、なんかフツー。
むしろいつも食べ慣れてるようなあっさり味だな、と思って調べてみると、豚肉・キャベツという具材が、実家で作る餃子と同じだった(浜松餃子は玉ねぎだけどうちのは普通の万能ネギ)。
そして奇しくも円形に焼くところも同じ。
もやしをつけあわせる、というのは異なる点ではあるけれど。

愛媛出身の母が、大阪の料理教室で習ったレシピに、勝手にアレンジを加えたものが偶然にも浜松餃子と酷似したものになってたようだ。
なんという偶然……


駅ビルで、お亀堂という菓子屋が、昨日豊橋でスルーしてしまったあん巻きを売ってるのを発見。
豊橋のオリジナルと違って、こっちは小ぶり。2つ購入した。

パンケーキ皮で餡を巻いてある、まあ言ってしまえば食べる前から味がわかってるようなお菓子だけども、しかしまた不味いわけがないような味ともいえて、実際美味しい。
今夜はお酒は入れずに甘党で過ごした。

とりあえず艦これのイベントマップひとつめを突破して就寝。
WiFiある宿でよかったな。


しかし、静岡というところは、思ったよりはるかに暖かいところだった。
大阪で普段過ごすような、ヒートテックシャツにセーター、革ジャケットという格好で歩いていたら、しばしばちょっと暑く感じるくらい。
寒い場合に備えて用意していた長袖ヒートテックシャツは、多分暑くなりすぎるので封印することに。

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