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2013年2月21日木曜日

三重県鉄道乗りつぶし行・二日目 (DiMAGE Z3)

二日目は、朝起きて車で送ってもらって、三岐鉄道三岐線の西藤原駅へ。
初日は乗りつぶしなんてやってなかったが、二日目は乗りに乗った。




そういえば三岐線って名前なのに、北端の西藤原駅はまだ三重県だと思ったら、やはり計画としては岐阜まで行きたかったそう。
駅前すぐの公園に、ウィステリア鉄道というミニトレインが走っているそうだけどどこだろう、と思ったら、


粉雪の降り積もったこの公園がそうであった。
ミニトレインは、毎週日曜日のみ運行。今日は車庫に入っていて、空しくレールがあるだけ。


レールを掘り起こしてみると、狭い。200ミリくらいの幅だろうか。
線路はぐるっと公園を一周して、分岐して駅舎近くの車庫につながっていた。


切り替える装置も見えている。
雪ではっきり見えなかったが、車庫行きとは別に、三岐線の線路に沿って伸びているらしい線路もあったような。掘り起こしたわけじゃないから、そう見える感じに雪が盛り上がってただけかもしれないけれど、なんだったのだろう。


車庫の前には、ミニサイズの転車台も。
そういえば車庫の前にあるのって給水塔か。日曜日に走るミニSLって、蒸気機関車型の電気モーター車とかじゃなくて、本当に蒸気機関車なのか。


ミニトレインの傍らには、西藤原駅のホームを1面使って、かつて三岐線で使っていた車両の展示が行われていた。


E101型蒸気機関車 E102号機。
三岐鉄道開業時に使われていた蒸気機関車で、昭和29年に全線電化とともに退役し、大阪窯業セメント(現住友大阪セメント)に譲渡された。
その後、三岐鉄道70周年記念でこの公園が整備された時に戻ってきて、再整備と清掃の上でここに。
……という内容を、車両の一人称文体で解説する「私の歴史」という看板がいい味。白地に黒の太明朝で淡々と、擬人化キャラ絵とか入れずに書いてある。


後ろには、日立製25トン液体式ディーゼル機関車 DB25号機。
三岐通運のセメント輸送を担っていて、小野田セメント(現太平洋セメント)の名古屋SSから関西本線八田駅の間で運行していたそう。
土地勘がないので名古屋SSの場所がわからないのだけど、どこ走ってたのだろう……?

E101型蒸気機関車と同じく平成13年7月に寄贈されたそうだけど、E101が鉄道開業70周年記念、こちらは三岐通運社設立50周年記念の名目になっている。



これは旅客車両なのかな……と思ったら、これも機関車。乗降ドアが見当たらないね。
いぶき502号機という、大阪窯業セメント伊吹工場(滋賀県)の専用線で働いていた車両。
平成12年に大井川鐡道に譲渡されてそっちで働くのかと思いきや、すぐにセントレア空港の工事のために三岐線のセメント輸送が忙しくなったからと移籍。
もともと501号機と2台あったけれど、501はレンタルだったので、三岐線の仕事を終えて大井川鐵道に帰った。
502は、そのままここで展示に。


その後ろに、C11型駅舎。客車もつながってるよ。
ちょうど電車もやってきたので、きっぷを買って待ち。硬券でてきたよ。


戦隊ヒーローみたいな顔だといわれて、なるほどと手を打つ顔立ち。



ここから、電車に揺られて近鉄富田へ。
車窓を眺めながらのんびり移動するが、なんだか線路近くやホームに、どうも稼働中には見えない感じの機関車や貨物車が置かれていることが多かった。展示だろうか。
私鉄には珍しい貨物輸送のある路線だけど、一度貨物列車とすれ違うと長大で頼もしい。そのせいかホームが長かったり、島式で行き違い可能な駅が多かった。

少し前に事故で一部不通になっていたようだけど、幸いにも1月中に復旧していた。間がいい。

富田駅に到達し、近鉄に乗り換えて四日市へ。
さらにそこから、近鉄内部線・八王子線に乗り換える。
同じ近鉄だけど改札出て、大通りを渡って結構離れたところまで行かなくちゃいけない。


そしてこのちっちゃい電車に。762mmの特殊狭軌が今なお使われている数少ない路線。
三重県では内部線、八王子線と、他に三岐鉄道北勢線がある。三重県以外には、黒部峡谷鉄道しかない。伊勢国は特殊狭軌王国や。

とりあえず近い方、八王子線の西日野駅へ行く。ちょうど電車来たし。
2つ先の日永駅で分岐して、ひとつ行ったら西日野駅。


程なく到着。
どこに八王子なんて名前が出てくるのか、と思えば、もともと西日野より向こうの八王子まで線路が伸びていたそう。
しかし1974年の豪雨災害で天白川が氾濫して線路が破壊され、西日野より先が廃止されて今に至る。

あまり来てすぐ折り返すのは好きではないけれど、今日は予定では内部線・八王子線は乗るつもりではなかったから、近隣の見所を調べていない。
仕方なく、またきっぷを買って改札に入り、内部方面へ。

日永駅では、Y字に分岐した線路にちょっと複雑にホームが配置されている。
でもって、全列車がここで接続するようになっているそうで、乗り換え時間はわずか。


すぐやってきた色違いに乗り換え。内部方面は3両つないでるのか。

内部線は、だいたい国道1号線に沿ったところを走っている。
一度バイクで通ったことがあるはずだから、見たことのある景色もあったのかもしれない。わからんかったけど。


そう長くもない距離を走って、内部に。
内部線は廃止が取り沙汰されているけれど、けっこう乗客はあったようにも見えた。
とはいえ、軌間も車両も違うから、ここだけ運営するにはコストが厳しいんだろうと想像もつくな。

さて、内部からは、JRの河原田駅まで歩いて行く。
3キロ弱程度の道のり。


内部川を下っていく。
道路は県道631号線。そこそこ車がくる上に大型車両も多いので、河川敷に下りてみた……けれど、どうも上がるところが無いことに気付いて、途中で這い上がった。みっともない。

えー、このへんの内部川左岸は、工場ばかりで特に見るものがある感じではなかった。
で、伊勢街道県道103号線に入って南へ。


河原田駅到着。
ここまで特に立ち寄るようなところを発見できなかったが、後で気付いたところでは、県道103号線の1本西側に、旧伊勢街道が通っていたよう。そっちになにかあったかも。


駅前に雑貨屋がひとつ。
入り口に手書きの注意書きがずらずら見える気難しいタイプのお店に見えた。いもや本店ほどじゃないけれど。
店先の自動販売機で何か温かいものを……と思ったら、どこまでもアメリカンな缶にひかれてこれをつい。

河原田駅は伊勢鉄道線の駅も兼ねているので、どうせ暇だから見物。


見目鮮やかなグリーンの跨線橋。塗装が新しいだけで登ってみると結構ぼろかったけれども。


高いところに伊勢鉄道の河原田駅。
JR関西本線と紀勢本線は、わざわざ内陸の亀山に行って接続しているので、名古屋方面から津・松阪以南へのアクセスが悪い。60年代には、特急くろしおも大阪から紀伊半島を一周して名古屋まで行くのがあった。
で、河原田からまっすぐ津に行く国鉄伊勢線として1973年に開業。
1987年に第三セクター化された。

今でも南勢と名古屋を結ぶ快速みえは、この伊勢鉄道を通る。
私は一度紀伊半島一周旅行をやったのだけど、うっかり鳥羽から快速みえに乗ってしまった結果、紀勢本線の完乗ができてない状態になってしまった。
関西本線は別に乗ったことがあるから、河原田-亀山間はいいんだけど、亀山-津間が乗れていない。

なので、やってきたJRに乗り込んで、亀山へ。
亀山についたら紀勢線新宮行きに乗り換え、津に。
これで、長い紀勢本線もようやく完乗。
大阪に住んでいれば関西本線の次に身近な本線のはずが、結局東海道本線、中央本線、山陽本線、北陸本線の後と、結構後回しになったな。


津駅に伊勢鉄道の車両がいた。さわやかなカラーリング。



新宮行きは、レトロなキハ40。


津駅前。
さすがになかなか賑やか……なようで、割と市街地から離れた駅らしく、駅前はビジネス街っぽくて商業エリアらしいものは見えなかった。駅ビルのショッピングセンターくらいか。
やたらと駐車場が多いのも、多分町から遠いんだろう。


津駅西側に、津偕楽公園というところあるので行ってみる。
江戸時代の津藩主が山荘を作ったところが公園化されたもの。ミツバツツジの名所だそう。


歩いていると、なんというか絵にするのが難しい公園だな、という感じだった。
園内はアップダウンが大きい地形が面白い感じだったけれど、それを表せるように撮る術が思いつかず。


D51の展示がある。
三重県内の国鉄で昭和48年まで走っていたもので、それからずっとここに飾られている。


近くに博物館があったが、施設老朽化で閉館中。


それから、三重県護国神社もすぐ近くにあったので参拝。
偕楽園を作った津藩主藤堂高猷が、戊辰戦争の戦没者慰霊に建立したのが始まり。

駅に戻って、土産物を買ったりしているともう、帰りの特急の時間。
平治煎餅というのを買ってみたが、平治物語ではなく、津の阿漕にいた平治という男にちなんだものだそう。詳細はこのあたりで。


一日で三岐鉄道三岐線、近鉄内部線・八王子線、JR紀勢本線の完乗を達成。
三重はまだ乗ってない路線もあるけれど、まあ、乗り潰しを目的に行くなら1日で、途中でゆっくり遊んでも一泊二日で済みそうな旅程。
とはいえ、途中から不通になっているJR名松線を除外しての話で、名松線が再開なり廃止なりされてくれないと完乗は達成できないのだけど……

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