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2012年9月8日土曜日

叡電「加茂川マコトちゃんをさがせ!」 w/ DSC-MZ1 & T-01A

叡山電車の夏休みイベント「えいでんでGo!Go!加茂川マコトちゃんをさがせ!」に行ってきたのは8月25日。
イベント期間が9月2日まで、かつクイズラリーの回答締め切りが9月7日消印有効となっているので、今まで引っ張った次第。
これは行った先を記録するblogであるからして、行った先がそのままクイズの答えに直結してしまうから、締め切り前には公開できない。

で、9月8日に日が変わって、正解が公表されたので、この記事もやっと公開できる。


持ちだしたカメラは、SANYO DSC-MZ1。
2001年の200万画素機なのだが、他にないような機能がいくつも盛り込まれた意欲作。
今になって振り返ると、この時代にHDR撮影(当時の呼称でワイドレンジショット)ができる、しかも連写の仕方が通常と異なるから手持ちでいける、というのは際立った芸だろう。
今回、特に暗いところを除いては、基本的にワイドレンジショットで撮影した。

それから、途中で電池が切れたので、慌てて東芝のスマートフォン・T-01Aでの撮影に切り替えた。


京阪特急で一路、終点出町柳駅まで。PiTaPaを通すと思い知る京阪の安さ。

いつもより早めに動き出して、朝10時には出町柳に到着している。
さっそく窓口でマコトきっぷを購入。


デ、デケエッ! こりゃタッパはSONY Readerよりはるかに上ッ……!
ざっと300×100mmくらいある。手前のSONY Readerは、6型画面で173.3×110mm。

ちなみにこれは二つ折り状態で、折り返した裏側がクイズの回答はがきになっている。広げてA4サイズなのだろう。
二つ折りゆえに、ポップ状に立たせることができる。1/5スケールというところだろうか。



きっぷは買ったけどすぐには乗車せず、下鴨神社へと足を向ける。


鴨川……じゃなくて高野川を渡ると、


すぐ下鴨神社の鳥居が見える。
しかし、大きな神社なので境内に入ってから本殿までが長い。

下鴨神社は正しくは賀茂御祖神社という。上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母である玉依媛命と、その父である賀茂建角身命を祀ることから。
平安遷都後は貴族や武士の信仰厚く、810年から400年にわたって斎院があって、そこでは天皇の娘が賀茂社に奉仕していた。


入ってすぐ、境内社の河合神社への案内板が見えるので、そっちに寄ってみる。


三井社、という小さな社が、河合神社に対面して建っている。
どうも説明文の意味が不明瞭なのだが、多分、かつて下鴨神社の所領だった蓼倉郷というところに祀られていた、賀茂社の分霊であるそう。



そして河合神社。
祭神は玉依媛命。延喜式内社で、名神大社だったそうだから昔はもっと大層な神社だったのかもしれない。
本宮が21年毎に式年遷宮をやるのにあわせて社殿が建て替えられていたそうだが、今のは1679年に建てられた古殿を再建したものとのこと。

鴨長明は、賀茂社の禰宜の次男に生まれ、この河合社の禰宜になることを目指していたが失敗し、神職を諦めたそう。
縁がなかったということをもって、鴨長明ゆかりの神社と看板が書かれているのがちょっと面白い。

境内摂社もいくつかあって、八咫烏を祀る任部社というのがある。
八咫烏が日本サッカー協会のシンボルマークとなって以来、サッカー必勝の守護神として有名である。そう看板に書いてあった。



境内の一隅に、鴨長明が建てた方丈を再現したものがある。
広さは文字通り一丈四方。分解組立ができるようになっていて、隠居した長明は、これを引いてあっちこっち移り住んでいた。



このあたりは自然林で、「糺の森」という。流れる小川は瀬見の小川。
山沿いの神社には、山そのもののような広大な鎮守の森があるのは珍しくないのだが、京都の(ちょっと外れとはいえ)町中の川沿いながらこれだけ立派な杜。


かつての祭祀場の遺構が見つかったりもしている。



どんどん歩いて行くと、やっと楼門。


中は狭いわけではないが、祭殿などが立派で大きい。
拝殿のすぐ前には、十二支それぞれを祀る小社がぎっしり並んでいてちょっと窮屈。



境内に御手洗川という小川があり、御手洗社(井上社)というお社がある。
もともと高野川と鴨川が合流するあたりにあったが、文明の乱で焼かれてここに再興。
土用になるとこんこんと清水が湧き出る不思議があり、その湧きでる水の泡をかたどったのがみたらし団子だという。

この反橋と近くの梅の木を、尾形光琳が「紅白梅図屏風」に描いた。


下鴨神社から駅の方に戻り、そしてせっかくなので、加茂川マコトの本拠地たる出町商店街にちょっと顔を出してみた。


しかし、順番的にこっち先にくるとおかしい(とあとで知る)。
京都の町中にありつつ、規模は大きくなく、地元のおじいちゃんおばあちゃんおかあさんが集まるような雰囲気の、魚屋や肉屋、乾物屋に金物屋の商店街。
もっと町中だと、観光客に飲み込まれる。もっと郊外だと、イオンモールに潰される。ぎりぎりの狭間なのかもしれない。

そういう昭和な商店街に萌えキャラときて、そしてこの看板になるのは正しく乙。
ここにきて手作り感が出てくるのは素晴らしい。



駅に戻る途中、出町妙音堂という弁財天社があった。
看板がかすれていていまいち読めないが、西園寺公衡の娘が後伏見天皇に輿入れした頃に作られたのが始まりとのこと。800年くらいの歴史。



出町柳駅に戻り。
すごい空の色に写った。空の色は露出でかなり青の濃さが変わってしまうものだから、露出を変えて2連写合成するワイドレンジショットの副作用が出たっぽい。


えいでんに乗り込んで、きっぷの裏に書いてある第一の問に答える。
マコト駅長は、行方不明になる数時間前に、有名な某音楽アニメ作品の舞台になっていると言われる場所に行くと言っていた、との証言あり。

この時、そのすぐ下に書いてあった「次に目撃されたポイントへのヒントは、駅に掲示されている」という一文を見落としたままきっぷを鞄に仕舞いこんで移動。



で、この駅にきた。見たようなところですね。
さて、加茂川マコトの居所情報はどこだろう、と駅の外へふらっと歩き出し、ヒントからどんどん遠ざかっていく。ヒントは駅の中や。


駅前にアーケード商店街がある。
けいおん!にも登場していた場所だそうだが、私あんまり画面注視せずにアニメ見るので、いつ出たのかはちと記憶が無い。
それらしい掲示板があり、京都にあるロケスポットを案内している。

この看板がある横の店が、リサイクルショップというか、衣類やそろばんからアニメのフィギュア、鉄道用品まで混沌と置かれたくせのある店だった。


東のほうにぶらぶら歩いて行くと、鷺森神社というところにくる。
1100年ほど前に比叡山の麓にあったそうだが、応仁の乱で焼かれて今の修学院離宮のあたりに移り、後水尾天皇が修学院離宮を作るにあたってここに移された。
本殿は1775年に改築されたものだそう。
祭神は素盞鳴尊。

さらに東へ坂道を上がっていく。
途中で、武田薬品工業の京都薬用植物園というのがあったが、いつも公開しているというものではないようだった。


地図に曼珠院天満宮とあるところにくると、弁財天社があった。
天神様と弁天様ではだいぶ違うが、これもまた看板がかすれて読めず、よく由緒などがわからず。
さりげなく茶屋が開かれていたが、佇まいがでしゃばってなくてなかなかいい雰囲気。


そのすぐ山側には曼殊院門跡。
天台宗五箇所門跡のひとつで、初代門主が菅原家の出でもあり、北野天満宮とも関係が深い。
(実は中には入らず)


ちょっと北にいって、音羽川に沿って下っていく。
上がっていくと雲母坂という、叡山への登山道。


解脱山、なる屋号が珍しい気がするお寺に遭遇。
禅華院という臨済宗の禅寺だった。寛永年間にできたそう。


で、修学院離宮にきてみたが、開いてない。
宮内庁に申し込まないといけないそう。ハードル高い。


いったいヒントはどこにあったんだろう、もしかしてけいおんの舞台になったところを虱潰しにしないといけないかな……と思ってたが、喫茶店で一休みしつつきっぷを見てたら、ヒントは駅にあると気づいた。

して、駅をよく確認してみると、ワンマンで前扉から出ると見落とす後方にポスターを発見。次のヒントがある場所のヒントが書かれていた。
ことまきプロジェクトの琴巻舞の証言を得られたところでは、マコト駅長は京都市電がかつて乗り入れていた駅に行った、という。
ことまきプロジェクトの面々は、2次元アイドルとして京都観光を盛り上げる仕事をしているとのこと。

とっくに無くなった京都市電の乗り入れ駅なんていわれてもわかんねえよ、と思ったが、ポスターに「スマホでも使って調べればいいじゃん」と身も蓋もないアドバイスがある。
しかし手元のスマホにはSIMカードがささってないので、ガラケーで検索して、然るべき駅へ移動。



この山端'(やまばな)駅がそう。
大正14年に開業して、昭和29年までは山端駅という名前だったが、今は別の名前になっている。
駅舎のペンキの塗り替えは何度も行われているはずだが、駅名標の上に広告看板をつけたままにしちゃっていて、ペンキに塗りつぶされることなく古い駅名が残されていたとのこと。
ということは、この駅舎は少なくとも昭和29年より前のものだな。物持ちいいなあ。

この駅で、ことまきプロジェクトの琴巻雅の証言を得られたところでは、マコト駅長は山ガールのような格好をしていたので比叡山にでも行くのかなぁ……、という。
そう言われると行く駅なんてひとつしかないので、そっちへ。


たしか以前乗ったときはけいおん!トレインになってたやつだと思しき車両で移動。

しかしまあ、叡山は前に登ったことがあるし、さすがに今日これから行っても時間が足りなくて満喫できないので、こっち方面はヒント回収のみにとどめた。

目的の駅で、ことまきプロジェクトの神崎梨乃の証言を得られたところでは、500円の人の家ってあるのかな? という。
500円玉のホームといえば大阪造幣局であろうから、駅でいえば大阪城北詰か大阪天満宮か。


京都検定タイアップ車両がやってきた。

大阪造幣局というのはもちろんボケであって、6歳の頃に亡くなったおばあちゃんにもらった500円を未だに大事に仕舞いこんでる私には、答えはすぐわかっていた。そこへ移動する。


その駅から、せっかくなので降りてしばらく観光してみることに。


実相院門跡。
駅前でたまたま路線バスを捕まえたのだが、まあ、1キロほど歩けば着くので待ってまで乗るほどではない。

ちょっと画像が破綻したが、ワイドレンジショットは稀に失敗があるよう。今回は、レンズフレアが悪さをしたようだ。
2連写の露光間に大きくカメラが動いたりすると酷く破綻するが、カメラを動かしてないのに目立つ破綻があったのは、180枚中このカットだけ。そう頻発はしない。

実相院は1229年に開基。
足利義昭の孫・義尊が入ったり、後西天皇の皇子が入ったりしたこともある。


堂内の写真は撮れないが、狩野派の屏風絵がいくつもある。
古い中国の地図やら、天球図など珍しいものもあった。

縁側に出て、庭の写真を取るのは構わないとのこと。
ちなみに3枚のうち、最後の1枚はワイドレンジショットを使っていない(7連写AEブラケットモードを使った)。2枚目と比べるとダイナミックレンジがぜんぜん違うのがわかる。




実相院に隣接して、石座神社がある。


もともと別のところにあったが、971年に大雲寺という寺を建立するときに鎮守社として勧進された。
現社殿は1592年の戦国時代まっただ中に造営されたもの。


ここらで水分補給のためにポッカの自販機でペットボトルを買ったら、何年ぶりかで当たりが出てもう一本となった。縁起がいい。


駅に戻りつつ、岩倉具視幽棲旧宅に立ち寄る。
幕末に公武合体派として活動していた岩倉具視は、一時倒幕派に弾劾されて剃髪し、ここに蟄居していた時期がある。


妙に草深い庭の細い通路を上がると、幽棲というだけあって、一般人の家くらいの建物が現れる。
しかし、さりげなく襖にガラス窓がはめてある。ハイカラやがな。


別館は文庫になっていて、維新時代の資料や岩倉の肖像画、晩年の病床に伏す岩倉に明治天皇が見舞いに来ている油絵などが展示されていた。



さらに駅に戻っていくと、石座神社がもともとあった場所に、山住神社というのがあった。
巨石をご神体として、神々の降臨する「磐座」と見立てて祀る、古いアニミズム信仰が神社化した感じのところ。
今の石座神社に移るのが971年のことで、それより前の記録として、「三代実録」に、陽成天皇元慶4年(880年)に従五位下の位を受けたと書かれている。

岩のご神体にもうすこし近づきたかったが、地元の方の集まりがある日のようで、拝殿の手前にロープをかけてあって、あまり近寄れず。


で、駅に戻った。

この駅で、ことまきプロジェクトの篠崎めぐみの証言を得られたところでは、マコトはパワースポットに行って温泉に入りたいって言ってたわ、という。
パワーに満ちたところといえばあそこであろう。

小学生の頃、かけると宇宙のパワーを送ってくるという電話番号が流布していた。
子供の好奇心でかけてみたら、「これから、うちゅうのぱわーをおくります」とおじさんの声で応答があり、その後むーーーおーーーと念力を送ってきたことがあった。



くしくも、きらら号に乗車できた。
片側の座席が外向きに配置された展望列車であるが、たまたままんがタイムきららと名前が同じだったということで、現在はひだまりスケッチヘッドマークを掲示して走行中。
今度やるアニメが「ひだまりスケッチハニカム」であることからして、六角形のヘッドマーク。
しかしきらら号の写真を4枚撮って、見事に全部手ブレでアウトだったのはどうしたことか。まあ、駅は山中で暗いのは確かであるが……


しかるべき駅に降り立ってみると、


どーん。
全国の天狗の総元締めたる僧正坊と呼ばれるのが鞍馬の天狗。ここは鞍馬山の麓である。



駅からすぐのところに鞍馬寺があるので、参拝していく。

行きはケーブルカーで上がってしまう。
鞍馬山鋼索鉄道は、日本で唯一宗教法人による経営の鉄道で、日本で最も短い鉄道でもある。営業距離は191mだそう。

運賃は無料、なのだけど乗車券は100円の浄財と引換にもらえる。浄財は税金かからないので。


駅もなにやら立派な建物だが、写真撮影に失敗した。しかし失敗にしても見事な流れ方になったので載せちゃう。
ワイドレンジショットは、暗いところで使うと露光時間がかなり伸びて、レリーズタイムラグも大きくなって後処理も遅れるっぽい。
光学ファインダーで撮ってると、レリーズされるタイミングがいつなのかわかりにくく、こういうレリーズ中にカメラを戻してしまう失敗は何枚か出た。

駅舎2階で、鞍馬山で発見される動植物の写真展をやっていた。
ただ、ケーブルカーの順番待ちがかなり混んでいて、そっちに行っていると並ぶ順番が遅れるせいか、あまり見に行く人はいないようだった。

ケーブルカーは31人乗りだそうで、かなり小さな車体。(混んでたので急いで乗ったから写真なし)
ケーブルなら2台が交互に走るものかと思ったが、ここは単行だった。すれ違い設備もなかった気がする。


ケーブルカーからおりると、すぐ多宝塔がある。
江戸時代に消失したのを、戦後に再建したもののよう。


しばらく参道を上がっていくが、高度はケーブルで稼げているおかげで、そんなに急な上り坂ではない。


本堂。
もともと鑑真和上の弟子が建立した古刹ではあるが、今は鞍馬弘教という宗教団体になっている。単立寺院といえばいいのか。
戦後に天台宗から分派して成立したらしいので、仏教なのだろうと思うが、なんというか、方々で宇宙のパワーといった言葉が見られ、どうも新しい時代の青少年に受け入れられやすい形にした仏教だそうで、何がどうなれば宇宙になるのか皆目わからないのだが、経典は法華経であるそうだから法華経を現代化すればそんな感じなのかもしれないし、あるいは天台宗が元なら天台密教を現代化したという線もあるかもしれないのだけど、私は浄土真宗の煩悩具足の凡夫であるから、法華経は難解らしいからきっと読んでもわからない、修験者になって厳しい修行に勤しむこともできない悪人だけど、まあ悪人なりに想像すれば、仏教のいうことは結構宇宙規模だから宇宙パワーに通じるところもあるのかもしれない。
まあその、鞍馬弘教のちゃんとした信者らしい方々が、お堂の前できっちり礼拝してたりもして、あまり無遠慮に振る舞うのもちょっと悪い気がする。

奥の院があり、さらにそのまま貴船神社にまでいけるらしいのだが、ちょっと時間と体力の都合でまっすぐ下山することに。
鞍馬山にだけきてたのなら行ってたんだけど、今日はすでにあちこち行ってるので。


下山中に山道の写真をとっていると、ここでDSC-MZ1の電池が終了。
エネループ2本で、測ったように200枚ちょうど撮れていた。
大部分がワイドレンジショット(つまり2倍露光)だと考えれば、昔はかなり電池が持たないといわれたカメラにしては頑張った。
ただし、ほとんど液晶オフで撮っている。

しかしながら、予備に持って行っていた古いエネループ(2007年モノ)を入れるも、再生モードは使えるけど撮影モードに行こうとすると電池切れで起き上がれない。
やっぱり、電池にシビアであるのは間違いないようだ。


ここから、東芝のWindows Mobileスマートフォン T-01Aに切り替え。
カメラは300万画素のCMOSカメラ。



下山途中、由岐神社という鞍馬寺の鎮守社がある。
大巳貴命と少彦名命を祀る。王城の北方鎮守として、940年に建立された。


さらに参道を降りていく。
魔王の碑とは。クラウザーさんでも来たのかしら。


そして駅に戻った。
この駅で、ことまきプロジェクトの今井美優の証言を得られたところでは、マコトは商店街にもどらなきゃいけないと言っていましたよ。という。
帰ってこいということですな。


で、商店街にさらにふたつヒントがある。
商店街では「ヒント撮影禁止」とあったので記憶に拠るが、たしか「猫のしっぽのおもちゃが調子悪いから見に行く」というような話。
商店街のおもちゃ屋にいってみると、たまに売ってる、猫のしっぽ(だけ)の先にボールがついて異様に動きまわって見せるアレが、「マコトのおすすめ!」というて売られていた。
(……というのは先に来た時に目撃していたのだが、この時点では誰かが買っていったようで、カラの箱が残されていた。加茂川マコトの営業力もなかなかである)


おもちゃ屋の向かいの工事中の壁に、最後のヒント。「いつもの決まり文句を叫びながら突っ走っていった」とある。
そこに、多分等身大のポップが立っていた。

で、ここまで行った7ヶ所の証言に、各1文字ずつキーワードが記されている。
そのうち6つを適切な順番で並べ替えると、マコトの居所がわかる。
それをきっぷについているハガキに記入して、駅に届けるか切手を貼って投函すると、今回のミッションは完了。
……なんだろうか、と疑問を覚えつつ何度か商店街を往復。

というのも、ヒントを解読すると、寿司屋にいると出た。
しかし商店街内の寿司屋は、たどり着いた時点では支度中で閉まっていた。
店頭で鯖寿司売ってたから、それを土産に買いつつ聞き込みすればいいか、と思ってたら、目の前でこれも売り切れてしまうという間の悪さ。(まあ、鯖寿司とはいえ大阪までこの暑さの中で持ち帰るのはちょっと心配ではあったが)

もうちょっと時間が掛かって夕食時に到達していたらよかったのだけど、巡り合わせはしかたない。
画竜点睛を欠いてしまったけれど、沿線散策はいつもの2倍は充実したものになったので、十二分に楽しく過ごせた一日だった。




マコトグッズを取り扱っている高橋あられ店さんで、おすすめのおかきを買ってきた。
マコトきっぷを提示すると、通常価格500円が400円に。
奇をてらったものではないおいしいおかきで、量もあるので、3日に分けて酒のつまみにしていただきました。





今日のDSC-MZ1は、やはり期待通りにワイドレンジショットは面白い。
最近はHDR撮影に対応したカメラもあると思うが、2001年当時には早々なかったはず。
ただまあ、当時は補色系CCDがあって、かなりダイナミックレンジの広いカメラもあったから、それでさほど注目されなかったのかもしれない。

HDRは2回露光するからブレやすいのだが、手持ちで撮ってこの結果が出せた。
手元のデジタル一眼レフ・PENTAX K-xにもHDRはあるのだが、2回露光する間のメカ的動作が大きすぎ、手持ちではどんなに明るいところでもブレてしまう。
MZ1は、おそらくメカシャッターを下ろさない電子シャッターによる連続露光で、ほとんど隙間なく2回露光する。

もともとSANYOのデジカメは高速動作がウリで、MZ1の前モデルであるDSC-SX550などでも、高速連写や7連写AEBなんて芸ができた。もちろんこれはMZ1でもできる。
動画も、15fpsながら640x480でメディア一杯か電池切れまで撮れる。(今では当たり前だが、VGA動画を撮り続けられるカメラはこの頃には稀)

まあ、実質露光時間が2倍ちょっとになるので、ちょっとでも薄暗いと手ブレが起こる。
多少ブレてもそれなりに処理してくれるが、なんだか解像感のない画像になってしまう。


ワイドレンジを使わなくても、1/1.8型で200万画素と、画素ピッチの贅沢なCCDを使っていることもあり、まずまずしっかりした絵が出る。

レンズは、オリンパスのOEMのよう。35-98mm F2.8-4.8の2.8倍ズーム、なんてちょっと変わったレンズが、CAMEDIA C-40ZOOMと共通する。
現物が手元にあるが、ちょっと鏡筒中心からオフセットしたレンズ玉など、実に似ている。
しかも絞り羽根まできっちりあって、MZ1の画像をExifで確認すると、F2.8/3.8/5.0/8.0と制御されているのが見える。
今回使わなかったが、P/A/S/Mフルモードでもある。Sがあるのは絞り羽根のある贅沢なレンズの証拠。

ただ、コーティングや鏡筒内処理が違うのだろうか、逆光に弱い。
写真を見てのとおりだが、オリンパスのカメラがこのレベルだったら驚く、というレベル。
まあ、この頃のオリンパスと三洋はかなり強く協調していたものだけど、やはりすべての技術を渡し合うというわけにはいかなかったのかもしれないなあ。
MZ1のような超高速連写機などはオリンパスには少ないし、オリンパスほど三洋はレンズが良くない。


起動は、レンズの繰り出しが遅くて結構時間がかかる。4秒くらいか。
ただ、起動してしまえば動作はキビキビしている。撮影後の待ち時間も当時としては短い。
撮影時に十字キー左右で露出補正、といった基本も抑えている。

他社と違って、撮影後にシャッターボタンを押しっぱなしにしていると、撮影画像のプレビューが出る、という仕様。
メニューやセットアップにプレビューの設定がないから、知らないとわからないのだけど、これは三洋スタンダード。

しかし三洋のデジカメは操作性については悪くないイメージがあったが、ちょっとMZ1はこなれてない感じ。
十字キーの周りがドーナツ型のロータリースイッチになっているのだけど、そのロータリーを使う機会があんまりなかった。時計設定したときくらいしか思い出せない。(なんとなく、A/Sモードで使うような気はするのだけど、Pだけだと使わなかった)
で、ロータリーが邪魔で十字キーがちょっと押しにくい。
メニュー操作などはほとんど十字キーで行う感じで、つまり使用頻度が高いのに、あまり使わないロータリーが邪魔とは、好ましくない。
十字キーが左で、メニュー・決定ボタンが右寄り上端という配置も、なんだかサウスポー仕様みたいな違和感もある。十字キー中央が決定だったりすればいいのだけど……。

メニューがすべてアイコン表示で、ワイドレンジショットなんて定規のアイコンだから、その機能があるとわかってる上で想像力を働かさないとわからない。まあ、これはSANYOの旧機種でも同じだけれど。
まあ、ここは後のXactiで、事細かな解説ガイドが出たりして過剰にフォローされていくけど。

再生/液晶オフ撮影/液晶オン撮影のスライドスイッチがある仕様は嬉しい。
液晶は低温ポリシリコン液晶で、当時としては非常にきれい。


気になったのは電池の持たなさだが、まあ、まだ弱ってないエネループを使えば、それなりのライフはあるようだ。弱った電池だと全くダメらしい。
200枚撮れたとはいえ、少なからず光学ファインダーを使って撮っていたし、液晶で使うともっとすぐ終わるだろう。

MZ1の発売当時、まだ単体で市販されていない1700mAhの大容量ニッケル水素電池が付属し、しかも付属充電器が4本同時充電可能なものだった、というあたり、電池がシビアなのはわかってることのようだ。
そのくせCR-V3使えないんだからなあ……。動画とかでずっと連続撮影するときに電圧高いと発熱増える、とかあったのかな。兄弟機のC-40Zなら使えるし。


電池は単三、メディアはコンパクトフラッシュと、現代でも扱いやすい。CFは2GBの認識OK。
ワイドレンジショットの絵はなかなか他のカメラでは味わえない。
数百円で入手できるなら、遊んでみるのも面白い一品。