新blogできています

このblogは、現在更新を停止しています。 新しい記事は新blogに追加されます。

2012年9月16日日曜日

石山寺・膳所焼 w/ Cybershot DSC-F88

京阪石山坂本線を石山寺まで乗れば、京阪電車は全線完乗ー、という状態になってから随分時間が経ったが、ようやく腰を上げて石山寺参拝へ。
滋賀といっても大津あたりなんて、大阪から京都いくのと時間変わらんのだけど。

カメラは、初代以来のサイバーショット伝統の回転レンズ、の最後のモデルであるサイバーショットDSC-F88。

大阪から京都にいくなら色々選択肢もあるが、滋賀に行くとなるとやはりJRの新快速が便利ってもんで、一気に石山まで行っちゃう。
が、山崎あたりで踏切の非常警報が作動し、車が立ち往生してる、といって高槻でストップ。
10分くらいで復旧したが、誤報だったか、さもなくばわずか10分で車を片付けたのか。


石山に到着して、なんか昼食食べよう、と思うも、意外と駅のデッキから見える範囲には居酒屋とマクドナルドくらいしか見えない。
オージーデリなる新ネタがあったけれど、なんかまとまりの悪い味というか。


駅前に芭蕉翁の像がある。
かつての東海道はこのへんを通っており、芭蕉は大津に来て、結構気に入って4ヶ月ばかり過ごし、住んでいた庵の名前からとって「幻住庵記」にまとめたそう。


京阪に乗り込んで、ほんのふた駅で石山寺駅。


京阪石山坂本線は、一部路面電車みたいになるせいもあってか、ラッピング車両だらけ。
3週間後だったかに迫った大津祭のゆるキャラであるらしい。ほんとにゆるいゆるキャラやなあ。結構好きよこれ。

駅から石山寺までは800メートルほど離れている。


駅前のヤマザキショップが、こんな有様。
まあ看板はわざとっぽいけれども、建物は濃いブラウンのプレハブ、中もデイリーヤマザキじゃなくヤマザキショップ、つまりコンビニじゃなくて個人経営でヤマザキと提携してる雑貨屋で、おば(あ)ちゃんが裏声でレジで応対してくれる。
石山寺への参道なら、こういうのがいいかもしれない。


途中でこんな川があったが、放水路、という。
湖南地方では、山から琵琶湖に流れ込む川が8本もあるのだけど、どれもこれも流下能力が低いそうで、雨でも来たらすぐ氾濫するという。しかもすでに住宅が多くて、川幅を広げるのも難しい。
そこで、それらの流れを中程で横切るように水路を作って、まとめて地下トンネルから瀬田川に流すという大工事をして、その出口がこれ。


参道の景色は気持ちいい。
琵琶湖かと思ってたが、ここはもう瀬田川のようだ。しかしどこに境目があるんだろう?
単車で走るのも気分良さそうだが、ここはオフ車やクルーザーやフルカウルのスポーツより、125ccのスクーターなんかがいいな。



石山寺門前まで来ると、門の隣に朗澄大徳ゆかりの庭園という、そのまま山林に連なっているような庭がある。
12世紀に朗澄律師という僧が、石山寺経蔵の一切経、並びに聖教を守り、万民の降魔招福のために鬼の姿になると言い残して入寂されたことから、鬼の姿の像がある。
朗澄律師については、石山寺中興の祖であるそうだが、ぐぐってみてもこの庭園の情報以外は見つけられなかった。
教学に優れる上に絵が巧い僧だったため、多数の絵が残っている他に、現在国宝の石山寺多宝塔内部の壁画も描いたのではないかといわれている。


重要文化財の東大門。
鎌倉幕府ができる直前、1190年に建てられて、慶長年間に大規模な改修があったそう。淀君がやったものだろう。
高さは抑え目で軒が深いのが古寺の大門らしい、との話。今度行く別の寺と比べてみよう。

石山寺は、聖武天皇の勅願で、東大寺を開いた良弁によって開山され、今は東寺真言宗。
紫式部がここにきて源氏物語の一部を書いていったとかで、また秋の月見が名物など風光明媚とも知られる。


どうもこのあたりのゆるキャラのセンスは独特や。ほんまにゆるい。

本堂へ至る参道の両側に、いくつも庵や庭園がある。
そのうちのひとつ、淳浄館で「54歩で読む源氏物語」という展示をやっている。


中はパネル展示で、54の各帖のあらすじを順に並べてある。


淳浄館の外は、ここもまた山林との境目が曖昧な庭園。
同じ区画に休憩所兼売店があった。



拝観料を払って、本堂のある方へ。
そしていきなり見事な岩山だが、天然大理石だと看板にある。
池には鯉がいっぱい。橋のほうだけ網が切れているせいか、やたらと集まってくる。


那須与一地蔵尊。なんか関与あったんだろうか。


東池坊密蔵院。
明治の頃にはここに茶丈があったそうで、島崎藤村が関西を漂白していた時に二ヶ月ばかり滞在したそう。石山寺にはハムレットを一冊献上したとか。


水車。


岩山のお陰で、どこを向いても景色が面白い。


小川を挟んで反対側は小高い丘になっていて、舞台のような作りになった本堂を眺めることができる。
ちと木が多いけれど。昔は払ってあったんだろうか。

イメージよりかなり広い境内で、まだ奥にずっと道が続いていて、八大龍王社があるというのだけど、どこまで行くのかわからない。
とりあえず本堂の方に上がることにした。


毘沙門堂。中には重文の兜跋毘沙門天が祀られる。


御影堂。弘法大師、良弁、淳祐の御影を祀る。


良弁僧正の杖が根付いて育った桜であるそう。



見事な珪灰石の奇岩。遠くに多宝塔が見えるのもまた格好がいい。
この岩が石山寺という名の由来でもあり、また天然記念物に指定されている。


蓮如堂。
淀君が慶長時代に石山寺を改修した時、三十八所権現社の拝殿として建てられたものを、明治以降には蓮如上人6歳の御影や遺品を祀る場所として利用されている。



本堂。1078年に一度消失したが、1096年に再建されたもの。
内陣はその頃のもので、外陣は淀君の改修。
本尊は如意輪観世音菩薩像。

奇岩の景色に恵まれた寺だから、本堂も負けじと立派なもの。
舞台作りの縁側からの景色はー……どっちかというと外から本堂側を見るほうが映えるかな。



先の蓮如堂が拝殿になっている、三十八所権現社。

今は本殿まで直接近づいて参拝する形だが、本殿前の僅かな隙間に横から近づく変な参道。

そして大きくはないけれど、作りはかなり格の高そうな鳥居が崖の半ばにある。鳥居の下は人の歩けるような道には見えないし、かつては拝殿までしか近づけない神社だったっぽい。



多宝塔。1194年建立の国宝。
数ある多宝塔でも最も美しい、と解説にあるが、こともあろうにその美しい多宝塔の写真が失敗ばっか。これだから写真下手な奴はー。


本殿より更に上がって豊浄殿。春と秋には源氏物語にまつわる展示をやっている。
源氏物語は正直あまり得意なテーマではないのだけど、原本が展示されていたのは驚いた。


かなりの高台な割にはあまり開けたところはなかったのだが、北東側に瀬田川・琵琶湖を望む展望台があった。
そこに建つ月見台は、天保年間に後白河帝が築いて、その後大正時代まで行幸があった。


鐘楼。
頼朝の寄進だというが、どうも鎌倉時代後期のものらしいとも。


ここで石山寺を離れ、駅に戻る。
電車に乗ってみりゃガンダムAGEのラッピングであった。あれまだ放送中なんや。

坂本に向けて進んでいく電車を、途中の瓦ヶ浜で降りる。


瓦ヶ浜駅の目の前に、膳所焼美術館がある。

膳所藩は7万石ほどの譜代大名の藩で、最初は戸田氏に始まって、本多氏になって石川氏になって菅原氏になって、それから本多に戻って続いた。
良い粘土が出たようで、作陶は古くから行われていたようなのだけど、特に膳所藩の御庭焼として、石川忠総の代(1634-1650)に小堀遠州の指導を得、大名茶の道具として発達した。
石川忠総は大久保忠隣の次男で、なかなか才のある人物だったそう。膳所藩も7万石というと大したもんではないように見えて、畿内の譜代大名としては彦根・小浜に次ぐ大藩でもある。

遠州七窯のひとつに数えられている。
小堀遠州が近江小室藩主になり、そして伏見奉行を務めていた時代だったので、領地と伏見の奉行屋敷を往復する通り道にある膳所にはしばしば立ち寄って、直接指導をしていったとの話。

伸びの良い粘土で、かなり薄造りのものができたそう。
釉薬は鉄釉で、黒と赤の色使い。古膳所は水差と茶入の評価が高かったそうで、美術館にも多数展示されている。茶碗などはあまり残っていないそう。
利休が地味に突き進み、古田織部が派手に突き抜けたせいがあってか、小堀遠州は「きれいさび」と後に言われる芸風にいったそうで、膳所焼も、落ち着いてるけど地味というより端正な芸風に見えた。予備知識がそう見せてるかもしれないが。

膳所藩自体が窮乏化した上に改革の失敗を何度かやらかし、膳所焼も巻き込まれたか、廃れていってしまった。
ちょうど改革失敗やら悪質家老の専横やらで揉めてた頃に、民間の小田原屋なる人物が梅林焼と称する焼物を始める。
赤・緑・茶・白くらいの多色を使い分け、亀やら貝やらを模した面白い作風で、これはこれでいいと思うけど、きれいさびの膳所焼とは似ても似つかぬシロモノだった。
その後、幕末くらいに雀ヶ谷焼というのが始まって、明治まで続いたがまたも廃絶。

大正になって、岩崎健三氏という方が、画家の山元春挙と協力して窯を再興。
生涯賭けて、かつて名品と言われた膳所焼を復活せしめた。


美術館に入ると、実はちょっと拝観料高いなと思ったのだが(700円)、まず抹茶とお菓子が出た。
さすがに古膳所ではないけれど、今焼きの膳所焼の茶碗で出てくる。
金で稲穂の絵を入れてあるのが古膳所とは違ったけれど、端正な形で、黒い中に赤みが少し見られ、窓明りだけの薄暗い室内では渋く見える。しかし光が当たると赤みが目立って趣が変わる。
添えて出てきた菓子皿は鮮やかな瑠璃色で、現在はこういうのも作っているとのこと。

お茶を頂いた部屋からは、陽炎の池なる名勝がある庭が見える。茶庵も見えた。
小堀遠州ゆかりというだけあって、水琴窟も備えてある。
思わずいい体験ができた。これが高いなんていったら失礼にも程がある。


しかし茶をいただく作法を知らんのが我ながら痛い。焼き物好きといってあれこれ見に行くなら、茶道の基礎くらい知っていてもいいかもしれない。


美術館の展示は、一階に古い織部焼や丹波焼などの所蔵品、二階に古膳所と梅林焼の名品。(どんなものかは先に書いちゃった通り)

それから作品の販売もあり、さすがに膳所焼は今は窯一つだけなので、丹波焼ほどリーズナブルなものが売られてはいないけれども、ぐいのみで2500円から、高くてもおよそ1万円くらいのもの。
その中から、典型的な膳所焼、という感じのぐい呑みをひとつ所望してきた。


いいところだったな、と膳所焼美術館を出て、近くに神社などがいくつかあるので一回り。


すぐ近くに、粟津神社というここらの氏神様がある。
境内は児童公園みたいになった、ほんとに小さな神社だが、しかし創建は265年、崇神天皇時代というから古い。
祭神は大国主命と、大道寺田端之介、田中恒世とある。
大道寺田端之介は、このあたりの開拓に尽力した人物だそう。
田中恒世は、彼が白鳳二年(673年)の四月に日吉の神に粟飯を奉じたことから、毎年粟飯御供の恒例ができ、祭りを創ったことから祀られるようになったとのこと。



そこから琵琶湖の方に出てちょっと南に行くと、本多神社というところがある。
その写真通り、もともと本多氏の浜御殿があったところで、本多家当主が祀られている。

境内には膳所藩資料館というのがあったが、これは事前に連絡していないと見れないよう。
古膳所焼の所蔵品もあるというが、来るまでそういうのがあると知らなかったからなあ。


ちょっとした丘あるいは盛土に、末社の稲荷社があった。うっかりすると本多神社そのものよりこっちのほうが目立つ。
稲荷社は大抵平地にある気がするのだけど、ここは階段で参道を上がっていく途中に鳥居がいくつも並び、頂上に社があった。参道の途中には他の小さな摂末社もあるくらいで、なんだか風変わり。


本多神社自体はこう。これじゃ参拝も出来ないが……
もしかすると、神社とはいっても廟所の性格があるのかも。


丹保宮というのがあったが、なんだろうと思ったけど由緒書きがかすれて読めない。
ぐぐってみると、幕末、膳所藩は尊攘派と佐幕派のふたつに割れて主導権争いが激烈だったそうで、やがて佐幕派に傾き、尊皇派11名が処刑されるところまでいった。
しかし、尊皇派の有力者だった川瀬太宰という人物が、新撰組に斬られながらも藩を尊皇派に巻き返し、戊辰戦争の時には新政府側につくに至った。
その殺された初期尊皇派の11人が祀られているのが、この丹保宮であるとのこと。


駅側にまっすぐ西に戻っていくと、若宮八幡神社というところがある。
壬申の乱の三年後の675年、天武天皇に「我が子仁徳を祀るべし」と神武天皇の御神託が下りたことから、仁徳天皇を祀る神社が作られた。よって、八幡神社だけど祭神は仁徳天皇。
大神社というわけじゃないけれど、宇佐八幡宮の次に古い八幡社であるそう。


この表門も、膳所城取り壊しの際に、犬走り門を移築したもの。
膳所城というのも、琵琶湖に付き出した岬にある水城で、これがまた波で地盤が侵食されるのを補修するのに金を食って仕方なく、1865年にどこよりもまっさきに廃城願いが出された。戊辰戦争直前に捨てられてるんだから、藩としてはよほど手に余る城であったよう。
しかしそれを惜しむ人もまた多く、門は近くの神社に移築されているそう。


拝殿はこのような感じ。
二社つながっていて、どっちが偉いのかよくわからない。多分写ってるほうが本社と思うのだけど。


ここで瓦ヶ浜駅に戻り、浜大津の方へ。
浜大津というのも行ったことないので、時間もまだある程度余裕があったので、下りてみる。


大津港が目の前、観光船が入港中。

A-QUSなるショッピングモールがあり、入ってみると滋賀物産を扱うところがあった。
長浜の佐藤酒造の特別純米酒「湖濱」を買ってきた。
飲んでみると、甘口ですごく飲みやすかった。私は辛口飲みたいならウィスキー飲めばいいと思ってしまうので、日本酒は甘いのがいい。


うろうろしてると、旧大津公会堂にぶつかった。


丸屋町商店街というアーケード。あいにくシャッターが多いのは、日曜日という曜日のせいか。
A-QUSは遊びのための場であって、日々の生活のためのショッピングセンターではなさそうだったけど、あいにくA-QUSからイオンモールが見えていたから、そういうことかな。


大津祭曳山展示館というのがあった。
例によって、曳山の装飾やからくりを自慢する展示。その大津祭も目前という時期。


浜大津は中途半端なまわり方だけど、時間もよくなったので、ここから駅に戻って帰阪の途に。




昔はサイバーショットといえば回転レンズだったわけだが、最終モデルのDSC-F88ともなると、いろんなところが洗練されている。
初期はけっこううすらでかいカメラだったのが、F88なら当時としてはちょっと大きめ程度に収まっている。
とはいえまあ、EXILIM ZOOMやOptio Sもとっくに出ていたし、屈曲光学系のレンズの出ないカードカメラであるCybershot DSC-T1がすでに出ていたわけで、そういうのと比べるとやはり大きいが。
そのDSC-T1の光学系があったから、回転鏡筒の中に3倍ズームを仕込むことができたわけで、レンズを回転させるために費やしたボディマスの大きいことったら。

しかし、回転レンズはやはり良いものではある。撮影の自由度が大きく違う。
同じような系統では、京セラのFinecam SL300R/400Rはスイバルでありながらぐっと小さいのだけど、あれはポケットから出したり戻したりするときにしょっちゅうレンズに触れてしまう。
その点、DSC-F88は、電源を切っているときはレンズがボディ内側に収まる。これならレンズを汚さない。
これを回して前に向けると、すぐ電源が入る。起動も速やかなので、回した直後には撮影可能。SL300Rは電源ボタンを押さねばならん。
レンズを戻せばもちろん電源オフ。やっぱこれはこういう操作系でないと。

ただ、まっすぐ前に向けるところまで行かないと電源が入らず、正面より下げると電源が切れる。
ということは、人混みの中でカメラを上にさし上げて、その状態で前を撮影することができない。
まあ、どうしてもやりたいなら、レンズを真上よりさらに手前側まで回した上で、背中向きに撮影すればいいんだけれど、人混みで逆を向く変人にならざるをえない。

あと、回転レンズに光学ファインダーは、付ける意気は良しとしても、さすがに実用性が低い。あんまりよいファインダーでもないし。


どうも少々物理的にダメージを負った個体だったようで、望遠端の写真は全滅。ピントがこない。
つまりほとんど広角端で撮影したことになるので、せっかくのシリーズ初にして最後のズームレンズが全く活きなかった。また無事な個体を探そう……

広角端も、万全の画質でない可能性は高い。不満が出るような悪さはなかったけれど。
逆光耐性は、並みかちょっと落ちる。同じ屈曲光学系のXacti J4なんかよりはいいけど、普通の沈胴式レンズのカメラよりは落ちる。

センサーは1/2.4型500万画素。
当時なら文句の出た画素ピッチかもしれないが、そんなに悪くは感じない。ダイナミックレンジは広くはないかなあ、と思うけれども。
ISO400でも、ノイズの出方が結構自然。ダイナミックレンジがますます狭くなるのでやっぱり暗所用ではあるけれど、ISO400だから見るに耐えない、なんてことにはならなかった。

ただ、ISO400でも「あれ、こんなシャッター遅くなる?」と思うことが多かった。
これはまあ、レンズが38-114mmF3.5-4.2と、広角側が暗いレンズだからだろうけれど。F3.5とF2.8じゃだいぶ違ってしまう。
なまじっか正直にシャッタースピードが液晶に出るから、気になってしまう。


ボディが大きい分だけ電池も大きめ。非常に長持ちするよう。
Infolithiumだと残り使用時間が出るのだが、新品の純正だと3時間以上の数字を弾くらしい。
今回は互換品を使っていたので、どうも90分としか出なかったのだけど、4時間120枚撮影して、表示が90分のままだった。

ただまあ、ジャンクデジカメを遊ぶという面では、このカメラに使うInfolithium R (NP-FR1)は、他に使ってるカメラが多くない、つぶしの効かない電池ではある。
DSC-G1とかDSC-V3のような、コンセプチュアルだけど売れたとは思えん機種とか、伝統のPシリーズ末期のDSC-P100/150/200なんてところに使われている。
あとは薄型Tシリーズの弱点だったバッテリーライフを強化したDSC-T30/50にも使われているのだけど、要は「ちょっとでかくてもバッテリーライフがほしい」または「どうせでかいから大きめの電池」という機種にしか使ってない。

ちなみに充電器はなく、ACアダプタで本体充電。
これは前から持っていたDSC-L1のものが流用できた。多分2004年前後には広く共用していたのだろう。


スイバルor回転レンズ機をどれかひとつ、といわれれば、Finecam SL300RよりもDSC-F88のほうが、画質やバッテリーライフ、レンズに触らない扱いやすさの点でこっちに軍配が上がると思う。
SL300Rのほうが、スイバル的使いやすさは広い(回転角が広い)、薄くてルックスがイイ、といったメリットもあるのだけど。

しかしまあ、万全な個体が欲しいところ。