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2011年8月15日月曜日

千葉一周旅行 三日目(3): 木更津

内房線の景色を楽しみつつ、東京で友人と待ち合わせる時間まで少し早かったので、昼食をとるべく木更津に降りてみた。



木更津といったら関西人でも名前くらいは出てくる土地なのだが、駅から降りてみると、驚くほど活気がない。驚くほど、というか本当に驚いている。
昼食をとりに来たのに、食事を出す店がほとんどない。
商店街は大部分がシャッター、アクア木更津という百貨店風のビルも縮小に縮小を極めたような運営状態。
西口が寂れた側なのかと思い、東側に渡ってみれば、ラズモール木更津とある大きなビルはすでに閉店し、本当に比喩でなく廃墟のように捨て置かれている。そしてシャッターとシャッターとシャッター。

地方都市は結構行ってるつもりだけど、私が見た中でここほど退潮著しい雰囲気の街はなかったように思う。
東京の友人曰く、ただでさえ千葉や東京に近くてストロー現象があるところ、さらに東京湾アクアラインでストロー増やしたら、商業が全部他所に流れた……というような話。



ともあれ、せっかく来たのだから一回りしてみようと思って観光案内地図を見ると、近くに童謡で有名な証城寺がある。
そっちのほうへ歩いて行くと、先に八剱八幡神社にいきあたった。


ヤマトタケルの東征以来の神社で、源頼朝に寄進を受けたりした歴史もある。
享保の頃からの神輿渡御も有名で、関東一の大御輿を繰り出す。

境内にソテツが植えられていて、これはかつて源頼朝が手ずから植えたものとか。
君津から鹿野山に登る街道沿い、草牛という所の森という家の前でちょうど一休みする場所があった。そこに源頼朝が立ち寄ったときに、森家への礼として植えていったとのこと。


境内摂社の祖神社。土蔵みたいな造り。
祭神が屋船久々能知神、屋船豊受姫神、手置帆負神、彦狭知神。

木更津ご当地ヒーロー・鳳神ヤツルギはもちろん八剱八幡神社が元ネタであろうが、数あるご当地ヒーローの中でも名前のカッコよさでは屈指だと思う。


もう少しいくと、証誠寺がある。


狸塚。和尚さんが煽り過ぎたために
腹鼓を打ち過ぎて死んだ大狸を供養している。
さすがに童謡で有名になりすぎているだけに、看板やら石碑やらでフィーチャーされている。
ややこしいが、歌の名前は「証寺の狸囃子」、寺の名前は證寺。わざとそうしたとも、誤植が元だともいう。
木更津駅の発着メロディもこれ。

歌ができた大正当時はどうだったか知らないが、今の證誠寺の庭は小さめの、縁側に座って眺めるのに良さそうなもの。
元ネタのたぬき伝説まで遡ると、庭も何もあたりは不気味な竹やぶだったことになっている。



駅の方に戻る途中、駅近くに光明寺という寺がある。

「与三郎の墓」というのがあるが、これは歌舞伎の「与話情浮名横櫛」の主役たる人物の墓。
実話ベースの創作らしいのだけど、この墓はモデルになった人物のものか、それとも作中人物の与三郎の墓なのか、どっちだろう。「与三郎の」だったら後者かなあ。


ここで駅から東京方面へ出発。
木更津駅からさらに内房線を上がり、蘇我で京葉線に乗り換えて東京駅へ。



私は楽しめた旅行であったが、ちょっと暑さと体力を気にして、立ち寄った場所場所をさらっと見て終わらせてしまったような感はあったかな。
いつもは一泊二日で、行ったところを徹底的に見てから戻ってくる旅行が多いのだが、今度は二泊三日にしたせいで、ちょっと勝手が違った。時間は余しがち、体力も終わってみればもう少し余裕あったかな。
しかしまあ、私は暑さに弱いから、二泊三日は冬にやるほうがいいかもしれないなあ。