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2011年5月5日木曜日

岩国城・錦帯橋

旅行二日目は、博多から少なくとも尾道まで山陽本線に乗ってくるのがテーマ。

天神のホテルから市営地下鉄で博多へ。
博多からはまず鹿児島本線で門司まで。

山崎ハコの「織江の歌」にも出てくる遠賀川なども渡っていく。
途中でかの八幡製鐵所らしいものを見かけた気がしたのだが、進行方向右手(南側)に座って窓から見ていたはずだけど実際に製鉄所があるのは北側だった。なにか別の物だったのだろう。

この区間は快速電車があったので楽。
同じ県内に70キロ離れて政令指定都市がふたつあるとか、福岡県というのは思ったより大きい。

門司から下関へ関門海峡を渡る。
橋じゃなくトンネルだから素っ気ないが。


下関に来てしまうと、山陽本線も一気にローカル線っぽくなる。
しかし駅を見ると結構立派なところも多いし、駅間もかなり広いあたりが、新幹線以前は主役だったのもまたよくわかる。
ボックスシートの向かいの老夫婦が、どうも美祢線(厚狭駅から長門市駅)経由でどこかに行くようなプリントを持っていたのだが、美祢線は大雨で壊滅的な被害を受けてもう半年以上不通でいつ復旧するかわからない状態との話。

普通電車が新山口駅で終着なので下車。
先へ行くには30分待ちと言われて暇つぶしをどうするか、と思ったら、ちょうどSLやまぐちがホームにいたので見物に。
あまり鉄道車両には関心がない私であるが、さすがに蒸気機関車が現役で走るところなどなかなか見れるものでなし。


牽引するのは国鉄C57形蒸気機関車、世には貴婦人というらしいけど由来はよく知らない。
C57の1号機で、1937年の完成以来、北関東・東北・千葉・新潟など走りまわり、戦争中は機銃掃射を受けたり、脱線転覆大破事故に遭ってなお修復され、78年に大阪でイベント運行してたら子供が線路に突入して写真撮ってたのをはねて大問題になり、しかしなんとか山口で定期運行を再開、でもちょうど検査のため兵庫にきていたら震災に遭い、それでも修理して復活、その後また大規模な故障があるも、C57の5号機が静態保存されていたのを活用して復活、と、壊れては修理されを繰り返して今に至るという。

ちょっと途中下車して駅前に出てみたら、小郡は種田山頭火が推しであるようで、色々見せているようだ。
機会があったら寄ってみるのも面白いかもしれない。


徳山行きに乗り換えてまたどんどん行く。
山陽本線は山口では結構内陸を走っているが、防府を過ぎたあたりから海際に出る。
瀬戸内海を眺めつつ走る。黄砂がひどくてイマイチ景色がもやっているけれども。

徳山で、すっと岩国行きに乗り換えられたので、そのまま移動。
途中で「神代」駅があり、次の駅が「ユウ」駅であったから、さぞかし岩国市はヤンキーの居心地が悪い土地なのだろう。(なお、神代駅はコウジロ駅と読む。ユウ駅は由宇駅と書く)
遠回りしつつ(単に距離でいえば徳山-岩国間は山陽本線より岩徳線というローカル線の方が短い)岩国着。


岩国で途中下車し、観光へ。
バスにちょっと乗っていくと、錦帯橋そばの橋の駅を名乗る施設前に着く。

岩国を治める吉川氏の三代目広嘉公、洪水のたびに錦川にかかる橋が流されるので、「いっそ橋桁がない跳ね橋にしてしまえよ」と地元の大工に無茶ぶりかますも、200mもあるようなところに跳ね橋など掛けられるわけもなく、考え直した広嘉公、明から来た僧に話を聞き、連続アーチ橋のアイディアを得て掛けたのが錦帯橋であるという。
まあそれでも初代は掛けた直後に流されたのだが、橋脚を強化した二代目は250年間流れず耐えた。1950年にまた流れてしまって、翌年架け替え。
さらに2001年になって、50年ぶりに架け替えて今に至る。

錦川も適度に入り組んだ流れで、なかなか絵になる。


橋をわたって歩いて行くと、岩国石人形ミニ資料館というのがある。
入ると、「なんだこの石を貼りあわせて人っぽい形にしたものは」としか思えないものが、土産物になってたり、大名行列に見立てた作品になってたりする。
しかしこれがニンギョウトビゲラという虫が作るものだと聞くと俄然興味深い。


佐々木小次郎の銅像があり、ほかに巌流ゆかりの柳なるものもあったりする。
佐々木小次郎が岩国の人だとするのは吉川英治の小説だそうで、色々突っ込むと小次郎と岩国って関係ないんじゃないかというような気がなきにしもあらず。


もう少し行くと、吉川史料館がある。
名前のとおり、吉川氏にまつわるものの展示。
書状の展示が中心でちと難易度が高い。私くらいの歴史知識じゃ楽しみきれないものがある。

その山側の方は吉香公園という、吉香神社を中心とする公園になっている。
廃藩置県で不用品扱いされて競売にかけられた岩国城を、神社にしたもの。
吉香神社は名前のとおり、岩国藩吉川氏代々藩主の祖霊を祀る。


昼食には遅い時間になっていたが、空きっ腹なので近くの「菜食キッチン わたぼうし」というところに入ってみた。
とりあえず手近な店に、という感じで入って、菜食・和風の弁当1380円とちと高いかと思ったけれど、食べると味付けが上品で美味しい。旅行に行くといい加減な食事にしてしまいがちな中、気分良い食事になった。

レストラン目の前の駅から、ケーブルカーに乗車。
岩国城のある山上へ。
1601年だから関ヶ原直後の建築で、まだまだ平城より山城が戦にいいと思う時代だったか。

天守は一応作られたのだが、できてすぐに一国一城令がらみで破却されたので、現在あるのは復元天守。
内部は吉川氏の博物館になっている。

岩国藩の刀工・青龍軒盛俊の刀が、刃紋が面白くて目を引く。
刀の展示は他にも数多かった。

天守からの景色は、錦川の姿に助けられてなかなか。

天守から離れて、道沿いにケーブル駅に戻る途中、大釣井というものがある。
武器弾薬庫兼非常脱出路であったという大穴。本当にどこかに通じているのかは窺い知れないけれど。

ロープウェーを降りて、土産物など買い込んで駅へ。
土産物の他、自分で呑むべく「特別本醸造 錦帯橋」という日本酒を購入。


岩国駅から広島方面。
しかし広島方面にいく普通列車の終着駅が、西条とか白市とかの余所者には馴染みのない駅ばかりで、果たしてどっちに向かうか不安になる。
芸備線はともかく呉線のほうへ行ってしまったらまずいな、と思いつつ調べ調べ、結局そのまま白市行きに乗っていればよいとわかった。

わかったが、途中の瀬野駅で下車。
ここから瀬野スカイレールという、モノレールのようなものが出ている。
しかし途中下車してみれば、工事中で運休。バス代行。乗りつぶし目的で来るには悪いタイミングであった。

諦めてまた山陽本線へ。
西条行きに乗っていき、西条で糸崎行きに乗り換え、糸崎で岡山行きだったかに乗り換え、福山駅で下車。
以前、大阪から尾道に行くのに山陽本線で来たことがあるので、これで山陽本線は支線を除いて端から端まで乗れたことになる。

乗りつぶしも果たしたところで、福山駅から新幹線に乗り換えて新大阪へと帰阪。